ごもくば

触れたものの感想を綴ります。

イノセント・ラブ 感想(ネタバレあり)

イノセント・ラブ

2004年制作 マイケル・メイヤー監督 マイケル・カニンガム脚本 アメリカ

 コリン・ファレルが気になってレンタルで観た。原題は「この世の果ての家」だそうで、そちらの方がラストのシーンは伝わりやすくて良いと思う。

 愛らしい幼少のボビーと美しい兄のシーンから、ヒッピーファッションの田舎くさい青年たちの会話へ切り替わったことに驚いた。ボビーは兄を失わなければもっと違った青年になったのだろう。何を考えているのかわからない、焦点の合わない遠い目をしたボビーは不思議だ。ジョナサンが家を出て美しいオープンゲイになっていたことに驚いた。再会した二人の視覚的ギャップの大きさといったらない。まるで二人の立場が逆転したかのように見えた。しかし物語が進んでいくと、二人は何も変わっていないことに気づく。自分の気持ちを上手く話せず割り切れないジョナサン。人のぬくもりを求め、ゆらゆらとあるがままに生きるボビー。そして溶け込めないクレアとアリス。結局男二人の世界だったのだ。ジョナサンはおそらく、ボビーよりも先に死ぬ。そのとき一人でいられないボビーは一体どうするのだろう。

 人に執着されるのはボビーだが、人に愛されるのはジョナサンなのだと思う。ボビーの、会う人を魅了し取り込んでいく様は少し恐ろしいものがある。人間味がないと言ってもいい。ボビーとアリスの二人きりのシーンでは、まさか彼女とまで寝やしないだろうなとひやひやしてしまった。しかしジョナサンがボビーのそんな一面に葛藤していたことには安心した。

 

パッセンジャー 感想(ネタバレあり)

パッセンジャー

2017/3/24 公開  モルテン・ティルドゥム監督 ジョン・スペイツ脚本 アメリカ

 クリス・プラットの瞳に光がないシーンが多く、ジム・プレストンという男は内面に底冷えするような狂気を持ったキャラクターなのだと思えた。この映画のクリス・プラットはふとしたシーンで息をのむような美しさを放っている。

 ラブロマンスという謳い文句だが、この結末をきれいな終わり方、ハッピーエンドと捉えられることは難しい。まず予告にだまされた。偶然同じ不幸に見舞われた二人の男女が心を通わせ、困難を乗り越えようとする物語なのだろうと思っていたが、そうではなかった。孤独に耐えきれなかったジムが一目惚れしたオーロラ・レーンを起こしたことは大きな罪だ。たとえそれが結果的に船の爆発を防いだとしても、この事実は変わらない。彼女はそのことを知ったとき、怒りと同時に恐怖も覚えただろう。「船から降りられない」ということは、あの優れた知識と体力を持った大男から逃げられないということだ。

 ジムは最初に目覚めてから最後まで、荒れはすれどパニックは起こさなかった。頭のどこかは必ず冷静で、自分の行いがオーロラに知れたときも落ち着いている。そして過去のことは語らない。家族構成も、地球で何をしていたのかも教えてくれない。そのことがジムの人間性を不透明なものにしており、不安を感じさせる要因にもなっている。対するオーロラはパニックにもなるし、断ち切った人間関係への未練もみえる。真人間とわかる彼女の不幸ばかりが目立つ。そして最後にオーロラは冬眠のチャンスを得たにも関わらずその選択をしなかった。もはや吊り橋効果、およびストックホルム症候群だとしか考えられない。しかし仮に冬眠を選んだとしても、ジムは起きている。毎日会いに来るとさえ言っている。いつでも彼女を目覚めさせることは可能なのだ。どう転んでも影がつきまとう結末になるだろう。

 カップルの観客が多くみられたが、果たして鑑賞後の感想はいかなるものだっただろうか。

SING 感想(ネタバレあり)

SING

2017/3/17 公開 ガース・ジェニングス監督・脚本 アメリカ

 タロン・エジャトンの歌が聞けるというので観に行った。透明感と若々しさに溢れる彼の歌声は、映画館で聞く価値があると思う。

 本編に関してだが、劇場支配人のバスター・ムーンの計画性のなさや思いつきだけで行動するその様からは、何故劇場が倒産寸前にまでなったのかがうかがえる。跡形もなく崩れてしまった劇場はショーによって確かに再建されたが、ムーンの経営者としての能力は物語の中で成長しているようには思えない。続編で再び経営が危ないことになっていてもなんら不思議ではないだろう。それともナナがバックアップにつくことでその事態は未然に防げるのだろうか。それから、専業主婦のロジータが自分の仕事をオートメーション化したことには、「専業主婦」「妻」「母」のあり方に対する皮肉を感じた。加えて夫は社畜のようだ。朝も晩も疲れていて目の下には隈すらこさえている。このブタの家族には、どことなく日本の一家庭を連想させるものがある。多くの子供をもつ母親のロジータが、失恋で泣き出したアッシュにアメやガムを与えたシーンはやけにリアルだった。劇場が倒壊するときにジョニーの腕につかまるアッシュも愛らしい。ジョニー、ロジータ、アッシュ、ミーナが気に入った。

 しかし銀行員のアルパカの立ち位置には嫌悪感を抱く。こういう物語にありがちな、ルールと契約に乗っ取って行動する常識的・論理的なキャラクターが悪役のような描写をされることが、私には気にくわないのである。

哭声/コクソン 感想(ネタバレあり)

哭声/コクソン

2017/3/11 公開 ナ・ホンジン監督・脚本 韓国

 物語序盤は小さな笑いが起こるようなボケがあって、どこか緊張感に欠ける、村特有の停滞と閉塞が描かれている。鮮やかな色彩の潤沢な風景に惹きつけられた。殺人現場の生々しさと村人の暢気さの対比が不穏であった。てっきり事件解決ものだと思っていたのだが、登場人物が当然のように話す「悪霊」「お祓い」などの言葉で自分が事前に抱いていたイメージが間違っていたことに気づく。それでもまだ途中までは人間が犯人であり、何らかの仕掛けによって村人が発狂したのだろうと思っていた。しかしそれの予想も外れであった。村人の発狂は人智を越え、あらがう方法を見つけられぬまま不安と恐怖に包まれていく。柔らかく無邪気に笑っていた主人公の娘の豹変と絶叫は、観るものの身体を強ばらせるほどの鬼気があった。私がこの映画を観るきっかけになった國村隼もさることながら、この子役のキム・ファニが物語に不気味さを纏わせる一翼を担っていたと思う。結局誰が(何が)事件を始めたのかは明確にはならなかった。それどころか終わりさえもしていない。唯一わかっていることは、村には絶望が訪れたということだけである。

 物語の最初と最後ではガラリと雰囲気が変わる。まさかここまで陰惨な話だとは考えもしなかった。腹の底が重たくなる映画だ。